24時間テレビ

今年の日テレ系列の24時間テレビから半月が経過しました。自分の感想を整理したいと思います。
視聴率や寄付金の面で今年の放送は非常に素晴らしいものとなりました。テレビというメディアがネットにこのまま押し倒されてしまうのではないかという昨今、記憶にも記録にも残り、テレビから一矢報いた格好となり、概ね良かったのではないかと思います。しかし、同時に番組制作の面での課題がより一層明るみに出たようにも感じます。実際、当日の放送は欽ちゃんにおんぶにだっこでした。なにやら最終回を見たような気持ちがして、その後の『行列の〜』の生放送で紳介がまじめに言った「じゃあ、来年からどうするの?」という問いは非常に重く、全く想像が及びません。
では、なぜ最終回の感触を覚えたか。それは明確です。欽ちゃんだから。
24時間テレビの開始当初の牽引役が欽ちゃんでした。当時あくまでもチャリティーを最優先して、出来る限り多くの人々に喜びを与えたいという使命感を胸に、普段世間が目を背けがちな障害者の実状をブラウン管を通じて紹介し、国の制度への問題提起と民間で出来る最大限の努力を果たしてきました。それが24時間テレビの存在意義でした。
それがいつの間にかバラエティのイメージをばら撒いて視聴率をとることが優先となってしまいます。その起点は、今のフォーマットが完成された、歌をテーマとした回。当時お笑い新世代の頂点に達したダウンタウンを司会にすえ、加山雄三谷村新司が一晩で『サライ』を作り、みんなで合唱する。その歌声により沢山の人々にエールを送る。非常に勢いのある放送でした。マラソンを始めたのもほぼ同時期だったと記憶しています。マラソンランナーを歌で応援するという、今の定番の出発点は確かに非常に濃密な放送でした。ただし、それは残念ながら、目的よりもやり方への偏重の起点としてあまりにも大きな事件でもありました。
あれから15年。以来、今も形を変えずに続けられているフォーマットは、歌の順序やマラソンランナーへの応援、そしてランナーが丁度良い時刻に帰ってきて、みんなで合唱して大団円・・・という予定調和の繰り返しです。同じことを繰り返しながら、予定通りアイドルグループを迎えて視聴率確保に躍起になって、大切にされていたチャリティーという目的はフォーマットに軽くペンキで塗られた張りぼてでしかなく、番組の本来の存在意義を見失ってしまっているように見受けられました。だからこそ、そこに欽ちゃんが来たことには意味があると思うのです。開始当初の主人公であった欽ちゃんの、商業主義に変わってしまった番組への「アンチテーゼ」が込められているのではないか、と。
そしてもう一つ思うところがあります。なぜ欽ちゃんが出たのか。それは欽ちゃんが芸能に対して一区切りつけたかったのではないか、と。
毎週100%の視聴率を稼いでいた男は90年代にいったんブラウン管から姿を消します。その間際、欽ドンの後番組で香取慎吾の奇才を見出します。その後、仮装大賞の司会を一緒にやっていることから自分の後任としての期待も感じられます。その「奇才」香取慎吾は奇遇にも今年のFNS27時間テレビの司会を務めました。年に一度の大きな番組で、孫悟空という役柄の演者でありながら、同時にMCも務めました。そんな背景を考えると、欽ちゃんはケジメをつけて本当に姿を消す心積もりがあったんじゃないかと思えて仕方ないのです。「僕はまもなくみんなの前からいなくなるよ。でもその前に、自分が蒔いた種は自分で刈り取らないとね。」
無言で走り続けた欽ちゃん。走り終えた時に達成感で感動する様子は全くありませんでした。ただ番組終了時刻に間に合わなかったことに責任を感じて涙していました。つまりそれはチャレンジだとか誰かのためだとか、そういったドラマを演じたかったのではなく、ただ自分でスタートさせた番組の存在意義を伝えておきたい。沿道の声援に応えながら走ることで周りを元気付ける、そして本来の番組の存在意義をリマインドする。深読みかもしれないけど、そんなケジメを感じました。
そんな気持ちを知ってか知らずか、きっと大方は反省もなく、来年もまた同じような放送をするのでしょう。そうやって欽ちゃんはひっそりと後進に道を譲っていくのじゃないか。祭りの後、なんとなくそんな寂しさだけが心に残ってやみません。