金スマSP

昨日おとといと懐かしさに浸っていますが、今日は更に浸らされました。ザ・ベストテンの裏側についてのドキュメント。
今頃になって知ったのですが、ザ・ベストテンが放送されていた期間はわずか12年間なのですね。物心ついた頃から見ていた自分にはもっと長い時間だったように思います。それほど濃密な番組だったということでしょう。この番組により、ピンクレディーやたのきんや聖子や明菜やキョンキョン細川たかし五木ひろしや80年代のありとあらゆるヒット曲を体に吸収してきました。
ハッキリとした意識を持って見るようになったのは、中山美穂おニャン子がでてきた頃から光GENJIWINKが売れていた時期あたりですから、久米宏ニュースステーションに移ってしまった後の司会をコニタンとか松下アナとかでつないでいたり出演辞退する歌手も増えたりした、番組的には斜陽の頃だったのだけど、なぜか記憶に鮮明なのは久米宏黒柳徹子という盟友同士による絶妙の掛け合い。そしてその頃の番組の勢い。ワクワク感。ドキドキ感。
しかし、そんな素晴らしい番組を支えていた裏では考えられないディレクションがあったことを、今日の番組で知りました。
生放送という緊張感の中で一位まできっちり収めなければいけないスリル。名物の一つでもあった「追いかけますお出掛けならばどこまでも」を実現させるために、航空会社や空港の管制塔を動かし、旧国鉄を動かす一本槍なディレクター。野外故に集まる熱狂的なファンをさばく過酷なロケ。絶大な人気故に集まるファンからの膨大な量のハガキ。そしてそのハガキが番組に出るのを嫌がっていた松山千春を説得させたという逸話。不可能を可能にする情熱に、ため息がもれました。
そのディレクター(後にプロデューサー)を努めた山田氏がこの9/30付でお仕事を引退されるそうです。バイタリティに溢れた彼の頑張りにより自分の中にはかけがえのない記憶を残してくれたことに感謝をし、氏をねぎらいたいです。
お茶の間が無くなりつつあり、世代や個人的な興味の多様性が表面化し始めたという時代背景によって番組は幕を閉じます。それから16年が経ち、その国民全体の趣向の不一致は更に広がってしまい、お化け番組と呼ばれるような人気番組はもう作れないのかもしれないけど、彼のようなバイタリティと世の中を人々を喜ばせたいという意欲に燃える人材が、今後もテレビ制作の現場に存在していてほしいものです。