めざましテレビ - 15周年特別企画

日々の暮らしの中で、ニュース番組は生活の一部です。
今日の天気は?お肉や野菜の値段は?社会のルールが変わった? 必要な情報源だけど、常に与えられていることが当たり前で、普段は有難みを感じることはありません。日々の暮らしでお皿がすごくきれいになったから感動して涙することはないですよね。決まった時間に会社に行ったり、テキパキと家事をこなしたり、目の前の作業をいくら片付けていってもお祭り騒ぎになることはないんです。日常ってそういうことだと思うんです。
であれば、ニュース番組のあるべき姿は、無駄なく的確な情報を伝える、そんな当たり前でいることが第一の役割ということになります。でも・・・。
みんなが過ごす社会は、人々に気づかない内に日々変わり続けています。そして人々は日々成長しています。そんな中で全く変わらないことは下り坂に見えてしまうんです。だから、適切な情報を提供することは本当は決して当たり前の作業ではなく、常に人々の生活の「当たり前」で在り続けることは、簡単なことではないんです。
今週、めざましテレビが15周年記念の特別番組を放送しました。
それは何の記念日でもない平日のある日の出来事で、視聴者への「当たり前」の提供を邪魔しないように慎ましく、しかし情熱的なチャレンジでした。そしてめざましファミリーたちが総動員で立ち向かった結果、目標が達成した知らせを聞いて、なぜか泣けてきました。
なぜ泣けたのか?なぜ感極まったのか? それは、今回の企画の演出による恣意的なものではなく、日々の生活の中の小さな喜び、例えば、お皿がきれいになったり、料理に一味加えたらすごく美味しくなったり、駅に着いたと同時に電車がホームに滑り込んできたり、そんな些細な喜びの積み重ねのような、当たり前のことを繰り返しながら、小さな工夫を加えながら、沢山の視聴者の定番であり続けたことこそがもたらした必然だったんだと思います。
翌日、めざましテレビは何事も無かったように普段通り放送していました。
「当たり前」に感謝を、そして「当たり前」であり続けることに賛辞を。今回の企画に寄せて。