余命1か月の花嫁

スクリーンにはとても自然体の二人がいて、それを冒頭に映したことがこの作品の肝であったように思います。話が進むにつれて、悲しみを呼ぶ反復効果がありました。
封切前の宣伝で、クランク・イン直後の二人がいきなりセリフを与えられずに自転車に乗るという撮影をさせられたという話を聞いていました。自転車で二列で飛ばしてたら通行人とぶつかりそうになって、「あー、ごめんなさ〜い!」みたいな自然な言葉をフィルムに収め、なるべく等身大の彼らを映したのだとか。そのやり方が作品の冒頭のかなりの箇所を占めていましたね。自然に発せられる幸せそうな会話が、いつの間にかストーリー全体の土台として、共有する時間の温かさにつながっていました。お付き合いって、そういういきなりの出来事の連続なのかもしれません。スクリーンを観ながら、「やりたいこともイヤなものも、後回ししている場合じゃない」と思いました。
ちょうどこの日、上映から帰ってきたところで、同性の友達から恋愛相談の電話をもらいました。なんでも、社内恋愛をしていて周りもそれを薄々知っていて、それを前提に、仲の良い会社の同僚から数名でテニス旅行に行こうと誘われて悩んでいるとのこと。相談してきた当人は十数年来のテニス仲間だけれども、相方さんはテニスも苦手で人間関係も苦手。だから、なにかにつけて気にしぃな相方さんに余分な気を遣わせるのではないかとのことでした。もちろんソッコーで参加するように促しました。しかも、旅行する日は7月だと言っていました。映画の話を付け加え、彼らにとっては迷う時間さえ足りないんだからと話しました。
でも、この十数年、その友人とはさして変わらぬ悩み事を話し続けてきた思い出しました。悩む選択肢があることの幸せをお互いに考える必要があるのでしょうね。今晩、この話の大元となった花嫁さんのドキュメントが再放送されるとのこと。おべんきょさせてもらいましょうかね。