のりピー失踪事件

そろそろ騒ぎの鎮火が必要でしょう。
5LDKでニュース速報のテロップが出てきた時に「見つかった!?」と反応してしまい、自分で自分に驚きました。こりゃ過熱報道にのってしまってるわ、と(実際のニュース速報は大原麗子孤独死だったので、これも只事ではないのですが・・・)。
関係者にとっては大問題でしょうが、いきなり捜索願いを出たところから一気に火の手が回り始め、事務所社長がテレビを通じて呼びかけるわ、森田健作知事も呼びかけるは、あれよあれよで大火事になった感があります。これほど日本全国で騒がれている中、もし私がのりピーなら出るに出られません。いったん規制した方が良い気がします。業界の方々もこういうコメントしてるし。
少なくとも、最悪のケースも想定の上で、ニュースサイトのトップに載せ続けるのは一旦やめたほうがよろしいかと。ここまでのところ「草なぎさん事件」の二の舞。いや、二の舞で終われば良いのですけどね。。


(↓)この手のネタが出ちゃうのは、火災警報。面白がっちゃダメよ。

重力ピエロ

きっちりとしたミステリーの骨格を、文学的なやわらかい肉体で包んだような、優しさのあふれる作品でした。
スクリーンに映し出されているシーンの多くは暴力や犯罪や差別など殺伐としたものが多かったのに、なぜか鑑賞を終えて振り返ると温かい感触が心に残っているのです。それは、終始笑顔で声をかける父・小日向文世がもたらしたものか、あるいは今は遠いところにいる母・鈴木京香の存在感なのか、またあるいは仙台の郊外という土地柄や木造一軒家が醸し出す雰囲気によるものなのか。
答えは見つからないですが、一つ言えることは、作品中に何度も前後する時間軸の中で常に変わらないものとして存在し続けた「家族愛」が、この作品に欠かせない要素です。それをクローズアップして、角ばった事象を丸く見せた演出は素晴らしいです。原作も読んでみたいと思います。

グラン・トリノ

クリント・イーストウッドの示唆に富んだ作品だと思いました。
エンディングを含め、演者としての最期を飾るにふさわしく、監督としての明確な問題提起。咀嚼しきれず、エンドロールで正直うーんと唸りました。それは、昨年のオスカー作品賞の『ノーカントー』と同じような深い悩み。今見た事実は何だったんだろうと振り返らずにはいられない気持ち(いや、両方とも合衆国以外の賞で評価されるとは思ってないですけど)。
土台に幾つかのキーワードがあると思うんです。劇場からの帰り道に頭に浮かんだのは、「多人種・異文化への嫌悪感」「超大陸で居続けているプライド」「"自由の国"のあるべき姿」「"銃が必要"である常識」などなど、共通してアメリカが抱える、結論を付けられないでいる問題の存在です。
イーストウッドといえば西部劇のガンマンが想起されます。それを当の本人は、西部劇といえばインディアンから土地を奪ってマジョリティとなった白人たちが銃を構えて勝利する、という勧善懲悪劇・・・言い過ぎかもしれませんが、そうした過去を意識しています。何らかの形で省みていると思うんです。というのもこの作品は、マジョリティとしての白人居住者の対極として、東洋人を据えているんです。自分たちがかつて侵略したネイティブ・インディオに敬意を払い、同じくかつて引きずり連れてきたアフリカ系の黒人にも敬意を払い、自分たちよりも後からやってきた東洋人こそを相手にしているのです。すなわち、アメリカに住もうとする新参者に対する警告。
アメリカは世界中の挑戦者たちが平等に勝負する挑戦の場であり、かつ居場所を失った人たちが逃げてくる駆け込み寺でもある。アメリカに行けば何かが変わる、何かが得られる、何かから救われる。そのような、皆が平等に生活することのできる超大国なんですね。市民の本音の前に立ちはだかる大いなる建前こそがアメリカ合衆国のプライドであり、市民の大いなる誇りなんだと思うんです。その建前の裏の「本音」をあらわにすることこそが、白人社会を謳歌したクリント・イーストウッドの演者として最後のお役目であり、バトンタッチする東洋人を含めた不特定多数に対する最期の舞台姿だったのだと思うのです。高齢にも関わらず、真剣に意思を貫き通したイーストウッド氏に敬意を表します。
多人種・異文化の中でお隣さんと共同生活をするということは、「ようこそ自由の国へ」と胸を張る国でさえも建前と表裏一体の本音があり、島国のわれわれには得難いジレンマなのでしょうね。

余命1か月の花嫁

スクリーンにはとても自然体の二人がいて、それを冒頭に映したことがこの作品の肝であったように思います。話が進むにつれて、悲しみを呼ぶ反復効果がありました。
封切前の宣伝で、クランク・イン直後の二人がいきなりセリフを与えられずに自転車に乗るという撮影をさせられたという話を聞いていました。自転車で二列で飛ばしてたら通行人とぶつかりそうになって、「あー、ごめんなさ〜い!」みたいな自然な言葉をフィルムに収め、なるべく等身大の彼らを映したのだとか。そのやり方が作品の冒頭のかなりの箇所を占めていましたね。自然に発せられる幸せそうな会話が、いつの間にかストーリー全体の土台として、共有する時間の温かさにつながっていました。お付き合いって、そういういきなりの出来事の連続なのかもしれません。スクリーンを観ながら、「やりたいこともイヤなものも、後回ししている場合じゃない」と思いました。
ちょうどこの日、上映から帰ってきたところで、同性の友達から恋愛相談の電話をもらいました。なんでも、社内恋愛をしていて周りもそれを薄々知っていて、それを前提に、仲の良い会社の同僚から数名でテニス旅行に行こうと誘われて悩んでいるとのこと。相談してきた当人は十数年来のテニス仲間だけれども、相方さんはテニスも苦手で人間関係も苦手。だから、なにかにつけて気にしぃな相方さんに余分な気を遣わせるのではないかとのことでした。もちろんソッコーで参加するように促しました。しかも、旅行する日は7月だと言っていました。映画の話を付け加え、彼らにとっては迷う時間さえ足りないんだからと話しました。
でも、この十数年、その友人とはさして変わらぬ悩み事を話し続けてきた思い出しました。悩む選択肢があることの幸せをお互いに考える必要があるのでしょうね。今晩、この話の大元となった花嫁さんのドキュメントが再放送されるとのこと。おべんきょさせてもらいましょうかね。

青春アカペラ甲子園 全国ハモネプリーグ

よどんだ空が晴れ渡るような結末でした。こういう感動をカタルシスと呼ぶのでしょうか。
甲子園に3年連続出場するも、過去2年はあと一歩優勝に及ばなかったチーム。最後の挑戦。沢山の努力、悔しい思い、様々な思いを込めて最後に本当の力を発揮したい。舞台は整い、彼らの強い思いに応える番組側の演出の妙が込められていました。でも、喜びを得るというのは難しいもので、それがあっさり叶ったり、力を出し尽くさずに勝ち得てしまったりすると何か足りず、ともすれば過剰な演出による茶番劇になることもままあります。そういった意味では、舞台にふさわしい対戦相手にめぐまれたことが感動を生んだ最大の要因だったのかもしれません。
私はこの番組を2時間通して見るのが初めてでした。特にひいき目も無く、ただただキレイな歌を聴きたいだけで見ていたのですが、決勝の3チームはいずれ劣らぬ実力の持ち主でした。気がつくとそれぞれの巧みな技術や圧倒される声量、そして高い完成度に引き込まれ、点数のつけようがないという気持ちでいました。そして、そうなると最後は気持ちの勝負になるのだと気付かされます。勝者は、はじめに「テッペンを目指す」と言いました。レパートリーがバラード曲のみだという彼らは、一回戦に『ラヴ・イズ・オーヴァー』を、決勝に『さよならの向う側』*1をそれぞれ選びます。けれんみのない、魂のこもった演目だったと思います。
そんな彼らに対し、表彰の場で審査員のつんくは、「泥んこまみれになって野球やってる奴らのよう」と例え、「最後9回裏で逆転した野球を見せられたような感動があった」と評しました。相手が手堅い守備やセオリー通りの攻撃を見せる中、テッペンをとりたいという彼らの魂は、グラウンドいっぱいに懸命に走って、ボールを追いかけ、歯を食いしばってホームベースに頭から突っ込む、正に泥んこ野球の精神。「甲子園」と銘打たれた番組で展開された好ゲームに対する素晴らしい賛辞だったと思います。
奇しくも、つんくは「この曲を歌えるなら」と志願して、山口百恵のトリビュート・アルバムに『さよならの向う側』で参加しています。そのつんくの心の琴線に触れる、素晴らしいサヨナラヒットであったと言えるでしょう。

山口百恵トリビュート Thank You For...

山口百恵トリビュート Thank You For...

*1:はてなキーワードで「さよならの向こう側」となっているけど、たぶん送り仮名の間違い。

ふくらむスクラム!!

昼間。多少フライング気味にやたら冷房の効いた地下鉄で移動していると、車内はリクルートな学生さんたちで溢れていました。
就活攻略本に夢中になってたり、メモ帳にモクモクと書きこんでいたりと、せわしない様子ではありましたが、よく見ると音楽を聴きながらちょっと小慣れた雰囲気でした。あとは数をこなせば大丈夫そうです。なんてことを考えていたら、メモっている彼の隣の席が空いたので座ったのですが、そういえば、今日の自分のスーツは目立たないダークグレーだし、シャツは白の無地、ネクタイも無難なえんじ色のストライプ。「マズい。他の乗客の人たちに就活学生が並んでいる」という目で見られたらどうしよう・・・とドキドキしていたら、向こう側の窓に写った二人は明らかに一回り違いました。シャキっとしたお兄さんとくたびれたおっさん。デトックスしなくっちゃです。


さて、そんなフレッシュ感が漂う中、ブラウン管の向こう側も激しい大改編で「ゆく番組くる番組」的なスペシャル編成が続いて半ば食傷気味で迎えた今週ですが、お好きな方々には大注目のお笑い番組が始まりました。
タイトルは、『ふくらむスクラム!!』。
お好きな人なら誰でも知っている『めちゃイケ』や『はねトび』の仕掛役のフジテレビのお笑い制作チームがありまして、そのチームの監督が憧れた『ひょうきん族』を皮切りに、『ひょうきん族』→『夢で逢えたら』→『めちゃイケ』→『はねトび』と続くいわゆる「8年周期説」の系譜を踏んだ、フジテレビ第二制作部肝入りの新番組のレギュラーメンバーが今日放送の番組で決まったのです。

往年のどっきりのスタイルで芸人さんにレギュラー決定を告げるノスタルジーにくすぐったい気持ちになりましたし、初仕事の集合の時に各コンビが見せる一発芸も苦笑の連続でしたが、なにやらやったろうじゃねえかという自信ありげな様子。この半生、上記の系譜にドップリと浸かっている身としては、昼間に見た自信を持ちかけている就活学生のように、この新番組の命名の通りに大きくふくらませてほしいものです。
ちなみに、そのお笑いチームは、片岡飛鳥監督率いる「片岡組」(きくちPの「音組」的な)と呼ばれていますが、今回の『ふくらむスクラム』では片岡氏は「企画」という肩書きになっていて、メインの仕掛人は当麻晋三さんという方だそうです。これからのキーワードかもしれませんね♪


(4/15追記)決定したメンバーを書くの忘れてました。以下の通り!

  1. 鎌鼬かまいたち
  2. ニッチェ
  3. しゃもじ
  4. 少年少女
  5. ヒカリゴケ
  6. オレンジサンセット


押しなべて「無難」である。女枠は1組に絞られるのは勿体無いと思っていたので、2組入ったのはうれしい。この人たちなら4人で4人以上のキャラクターをキッチリ作れると思います。

ヘキサゴンII超クイズパレード!!春の3時間スペシャル!!(とアッキーナの変化)

ヘキサゴンSP、「作品」としてすごく良い仕上がりになっていました。
人気企画を沢山持ちながら、常に新しいフォーマットを投入し続ける番組努力に頭が下がります。クイズに限らず、歌あり、感動あり、恋愛あり、ロケあり、即興コントあり。また最後にクイズに戻って、優勝決定の大一番が見られたり。もはやクイズという名のドラマ。最近のバラエティの世界で、フリーフォーマットのバラエティがいつのまにかクイズブームに乗っかったパターンは多く見ますが、クイズをちょっとずつ膨らまして総合バラエティに格上げさせた番組は珍しいと思います。それを実現させる、視聴者の予想をいい意味で裏切る展開とそのスピード・実行力が素晴らしいです。
と、ここまでは番組について通り一遍の感想。本題は、南明奈が成長した気がする、ということ。ウォッチャーかぶれのようですが、「アッキーナ」というラベルを付けられた普通の女の子が世に出始めた頃は、人に何かを聞かれても「ぇ〜とぉ・・・あのぉ・・・」と、かなりキョドっていて正直見ていられませんでした。一視聴者としては、怖くて震えている子猫のようで、世間につぶされてしまうんじゃないかと心配になるほどでした。ところが、最近年明けあたりから、なんかまるで人間が変わったよう。発声から目線から機敏な動きまで、まるで他の子が乗り移っているみたい。様々な仕草に、華奢で何も知らないかわいいモデルさんから、今どきの計算深い強気で肉食的なグラビアアイドルの一面が出ていました。「やらされてる」感から「やったった」感。ちょっと踏んでもつぶされない感じ。邪推ですが、「付き合った男の影響かな?」という感じがニオいます。であれば、そのお相手は結構賢い人。なんか危ない輩じゃないといいんですけどね。とにかく人間的な特段の差を感じました。
そんな部分を魅せる辺りが、他の総合エンターテイメント番組とひと味違うところなのかもしれません。